=活動目的=


 ・日本における国家や政治と教会の関わりを、聖書と神学の視点から

  研究します。

 ・現在の日本の状況を踏まえ、教会がこの時代に担うべき神学的課題

  として整理します。

 ・整理された神学的課題を広く一般に提供します。

賛助会員登録を希望される方はフォームから送信してください。


 


2018年2月2日金曜日

2018年2月11日 「信教の自由を守る日」の集い情報です。

2月11日は「信教の自由を守る日」です。
今年は主日となりましたので、前日や翌日になるところもありますが、各地で集いが持たれます。当会ゆかりの教団・教派、地域の集い情報をお届けいたします。ご一緒に考える時を持ちませんか。


【情報は随時更新】










第6回例会のお知らせ


第6回例会のご案内です。

2月23日(金)午後6時半~
発題は、
岡山英雄牧師(日本福音キリスト教会連合東松山教会)です。
「リチャード・ボウカム『聖書と政治 社会で福音をどう読むか』を読む。」


 経済格差、民族差別、ホロコースト、核兵器… 注目の聖書学者R.ボウカムが、世界の難問に聖書から斬り込む。 イエスが1世紀パレスチナの政治状況の中で語った「神の国」は、今日のグローバル化した世界に何を意味するのか?
混沌とした社会の中で、多くの人が迷い、悩んでいます。その現代社会をどのように聖書で照らし、説き明かすのか、示唆に富んだ一冊です。その内容を翻訳者の岡山先生がお話しします。
ぜひお出かけ下さい。




当該の本はコチラです。
https://www.amazon.co.jp/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E6%94%BF%E6%B2%BB-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%A7%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%82%92%E3%81%A9%E3%81%86%E8%AA%AD%E3%82%80%E3%81%8B-%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%B0%E7%A4%BE-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%83%A0/dp/4264036275

2017年7月19日水曜日

第3回例会を行いました。



 7月14日に第3回例会を東京・千代田区神田駿河台のお茶の水クリスチャン・センターで開催しました。
 今回の発題は星出卓也牧師(長老教会・西武柳沢キリスト教会牧師)でした。
「すべてのものを支配させよう・相互共生に仕える社会的権威」と題して講演しました。

以下、クリスチャン新聞を引用紹介します。

 星出氏は、「神が意図された本来の『支配』の性質は、エゼキエル書34章が『養い』『いやし』『傷ついたものを包み』『世話をし』という言葉で表している支配であり、愛に基づく支配」だとし、「自然破壊や抑圧と搾取が横行する地上の荒廃の原因は、人間の堕落に帰するものであって、神の命令に帰するものではない。現実は地を治めるよう命じた神の御心から離れた支配だ」と指摘。「共生社会か、競争社会か。今日教会はこの時代の中でどう政治的ビジョンを示し、どう神の御心を現すかがますます問われている」と語った。
 講演後、質疑応答の時をもち、最後にグループに分かれ、日本の政治に神様の御心が現れるように祈り合った。


2017年7月6日木曜日

第3回例会のお知らせ


7月14日(金)

第3回例会のお知らせです。


「すべてのものを支配させよう
   ・相互共生に仕える社会的権威」       
   発 題    星出 卓也 牧師
            (日本長老教会西武柳沢キリスト教会牧師)
        
  2017年7月14日(金)午後 6時30分~
 御茶ノ水クリスチャンセンター・411号室

   趣旨に賛同される方はどなたでもお越しください。席上献金をお願いいたします。


2017年6月1日木曜日

第2回例会 「責任倫理の担い手としての『われ』と『われら』」

5月26日におこなわれた「教会と政治フォーラム」第2回例会は、31人が参加しました。朝岡勝牧師(日本同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師)が、「責任倫理の担い手としての『われ』と『われら』」と題して発題。発題を受けてデイスカッションで深めました。
 次回第3回例会は、714日(金)午後6時半から。発題は星出卓也牧師です。
 詳細が決まりましたらご案内いたします。

<発題の要旨>

 教会が「政治的」な事柄に関わろうとする時、あるいは関わらざるを得ないような時、その場合の主体は誰なのか、という問いがある。『教会が政治も含めた「倫理的な課題」にどのように関わることができるのか、その課題の担い手になるのは誰か』という問いを投げかけた。
 この問いを、マックス・ウェーバーの「心情倫理」と「責任倫理」の概念から考え始め、ディートリヒ・ボンヘッファーが行った講義をもとに編纂された二つの著作、『服従』(1937年)と『倫理』(1940〜43年)を掘り下げて考察。
 さらに、教会と国家の関係性と区別性について、どのように考えたのかを「ドイツ福音主義教会の現代の状況に対する神学的宣言(通称バルメン宣言)」(1934年)の第五項を見ることによって明らかにした。
 最後に、再びボンヘッファーの『倫理』に立ち戻り、責任倫理の担い手としての「教会」について考えた。
 暫定的なまとめとして、以下に5点を挙げた。
1、教会は、政治や国家の課題に対して、結果責任を負わない心情倫理としてでなく、むしろアクチュアルな課題として引き受け、祈り、奉仕するとともに、時には注意を喚起し、警告し、時には「新たな選択肢」(オルタナティヴ)を示す責任倫理の担い手とされている。
2、責任倫理の担い手としての教会は、「十字架の下にある服従する者の教会」として、キリストへの服従において方向づけられ、「地の塩・世の光」としての役割を果たすことで、その責任を担う。
3、責任倫理の担い手としての教会は、「究極のもの」すなわちキリストの義認によって生かされるゆえに、「究極以前のもの」すなわち現実の社会の中で、福音宣教とともに、責任倫理の実行とによる政治的参与の使命を果たす。
4、責任倫理の担い手としての教会は、「神の御前」における罪の認識と告白において「われ」と「われら」が一つにされた「教会という全体的な『私』」である。
5、責任倫理の担い手としての教会は、罪の認識と告白から出発し、それを引き受け、キリストによる赦しに与ることでその責任を果たすゆえに、政治や国家の課題も、神の御前にあって罪の赦しを必要とし、それゆえに教会が赦しを求めて引き受ける課題なのである。

<発題を受けてのデイスカッションから>

「自分の所属教団の創立宣言での戦争中の罪責告白を顧み、日本のプロテスタント教会は『出エジプト』をしないといけないのではないかと痛感」、
「日本にある公同の『教会』として、日本の中で生かされているキリストの民として、『責任倫理の担い手』になることの自覚。『地の塩・世の光』は、なりたくてなるとかではなく、なるものとされている。その生き方を身につけることが必要」、
「小さな群れでもイエス・キリストの身体である、ということを語っているのかどうかを問われた。講壇から『教会とは何か』、を語ることが必要なのではないか」、
などの声が出されました。
また、「国家がその委託と使命を放棄し、暴走しているというと、それは『心情倫理でしょう』と言われる。その判断の分かれ目はどう考えるか」との質問には、「『信仰告白の事態』と認識するときは、実際は事態がかなり進んでしまっている。せめぎ合っている現実の前で、絶えず線を引きなおす必要があるのではないか?」。その判断の線として、「隣人がないがしろにされていることを見逃してはならない。」など、現実に引き付けての具体的かつ有意義な意見交換となりました。

2017年5月2日火曜日

第2回例会のご案内

第2回例会を5月26日に行います。
趣旨に賛同される方はどなたでもご参加いただけます。

「責任倫理の担い手としての『われ』と『われら』」
       
   発 題     朝岡 勝 牧師
           (日本同盟基督教団・徳丸町キリスト教会)
         
  2017年5月26日(金)午後 6時30分

  御茶ノ水クリスチャンセンター・411号室
  

参加は無料(席上献金あり)

2017年4月24日月曜日

キリスト新聞は一面で報道してくださいました。


キリスト新聞は4月22日付けの一面で報道してくださいました。
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